久住自戦記 〜悪手を指すのも時間の問題?〜
ヘッドスライディングで今月2回目の自戦記です。
はい。夏休みの宿題を、最初は張り切って一気に半分以上終わらすのに、 その後さぼってしまい、結局最終日に大量の宿題をやるハメになるタイプです。
自戦記を月2回でやっていて思ったんですが、月2回というのもあまり意味が無いというか、それなら2週間に1回とした方が期限に意味があると思うんですよね。最後の週に2回書いて滑り込みで終わらせることに、ただ約束だけは守ったよね、という以外に意味を見いだせないわけで。
そういうわけで、来月からは自戦記を月に1回以上書けなければ謝罪文、ってことに変更しようと思います。おいおい、2週間に1回じゃないんかい、って突っ込みはなしで^^;
余裕のある時は手が見えていて、割とすんなり優勢になったりするんですが、たまに急に手が見えなくなることがあるんですよね。どうも時間が短くて読み切れないことが関係しているような気がする。
ツイッター対局で長時間指してみて気がつきましたが、自分って結構じっくり考えるタイプなのかも。
早指しが割と得意だから、時間の短い将棋の方が指せるのだと思っていましたが、こう優勢の将棋をひっくり返される将棋ばかり指していると、そう思いたくもなりますね。
となると、短時間で素早く考える練習が必要になるわけですが、どのような方法がいいのでしょうか。多分、早指しで指しまくる、というのは違う気がする。
今思い付きましたが、詰将棋を出来るだけ短いタイムで解く訓練をする、というのが何か良さそうな気がします。ちょうどandroidタブレットで詰めパラのアプリをやっているので、これを取り入れてみることにしましょう。
はい。夏休みの宿題を、最初は張り切って一気に半分以上終わらすのに、 その後さぼってしまい、結局最終日に大量の宿題をやるハメになるタイプです。
自戦記を月2回でやっていて思ったんですが、月2回というのもあまり意味が無いというか、それなら2週間に1回とした方が期限に意味があると思うんですよね。最後の週に2回書いて滑り込みで終わらせることに、ただ約束だけは守ったよね、という以外に意味を見いだせないわけで。
そういうわけで、来月からは自戦記を月に1回以上書けなければ謝罪文、ってことに変更しようと思います。おいおい、2週間に1回じゃないんかい、って突っ込みはなしで^^;
余裕のある時は手が見えていて、割とすんなり優勢になったりするんですが、たまに急に手が見えなくなることがあるんですよね。どうも時間が短くて読み切れないことが関係しているような気がする。
ツイッター対局で長時間指してみて気がつきましたが、自分って結構じっくり考えるタイプなのかも。
早指しが割と得意だから、時間の短い将棋の方が指せるのだと思っていましたが、こう優勢の将棋をひっくり返される将棋ばかり指していると、そう思いたくもなりますね。
となると、短時間で素早く考える練習が必要になるわけですが、どのような方法がいいのでしょうか。多分、早指しで指しまくる、というのは違う気がする。
今思い付きましたが、詰将棋を出来るだけ短いタイムで解く訓練をする、というのが何か良さそうな気がします。ちょうどandroidタブレットで詰めパラのアプリをやっているので、これを取り入れてみることにしましょう。
久住自戦記 〜うまくいった場合を考える〜
ツイッターで長時間の対局をしてから数週間、ちょっと張り切りすぎて将棋熱も冷めたかなと思っていたら、意外や意外、むしろ将棋熱は高まっているようです。
つい先日も1日に10局指してしまい、自分らしいイケイケな将棋が指せてテンションが上がったり、上手くいかなかった時でも、M属性が出て自己嫌悪君に弱い自分をもっと痛めつけてほしいと、テンションが上がったりしていました。
というわけで久々の自戦記です。
これまでは負けた将棋について、どこが敗因だったのかとか、反省点はどこかを中心に考えていたわけですが、たまには勝った場合、その中でも特に、自分らしくうまくいった場合について書きたいと思います。
人はうまくいった場合についてはほとんど考えないものです。うまくいくパターンを繰り返した方が大抵うまくいくにもかかわらず、です。精神衛生的にもその方がいいのにねぇ。
この対局を通して得た教訓は、「適度であれば無茶してもいい。」ということです。
その「適度」というのはどの程度なのかというと、相手の強さによって変わってくるのかもしれませんが、2100点くらいの人であれば、3手先に有効な手が見えているかどうか、というのが目安ではないでしょうか。
例えば、71手目▲7五歩は、△同歩に対しても△同銀に対しても何らかの怪しい手を用意していましたし、73手目▲8六桂では、△6九角成に対して▲7四桂で、とりあえず攻めは継続出来そうだと考えていました。
厳密には攻めは切れているのかもしれませんが、相手も完璧ではありませんから、3手の読みが入った手に対してはそう簡単には対応できません。だから間違えやすく、うまくいく可能性が上がるのだと思います。
ただ、3手先が読めていないのなら、良くなるまで我慢することも必要ですね。
つい先日も1日に10局指してしまい、自分らしいイケイケな将棋が指せてテンションが上がったり、上手くいかなかった時でも、M属性が出て自己嫌悪君に弱い自分をもっと痛めつけてほしいと、テンションが上がったりしていました。
というわけで久々の自戦記です。
これまでは負けた将棋について、どこが敗因だったのかとか、反省点はどこかを中心に考えていたわけですが、たまには勝った場合、その中でも特に、自分らしくうまくいった場合について書きたいと思います。
人はうまくいった場合についてはほとんど考えないものです。うまくいくパターンを繰り返した方が大抵うまくいくにもかかわらず、です。精神衛生的にもその方がいいのにねぇ。
この対局を通して得た教訓は、「適度であれば無茶してもいい。」ということです。
その「適度」というのはどの程度なのかというと、相手の強さによって変わってくるのかもしれませんが、2100点くらいの人であれば、3手先に有効な手が見えているかどうか、というのが目安ではないでしょうか。
例えば、71手目▲7五歩は、△同歩に対しても△同銀に対しても何らかの怪しい手を用意していましたし、73手目▲8六桂では、△6九角成に対して▲7四桂で、とりあえず攻めは継続出来そうだと考えていました。
厳密には攻めは切れているのかもしれませんが、相手も完璧ではありませんから、3手の読みが入った手に対してはそう簡単には対応できません。だから間違えやすく、うまくいく可能性が上がるのだと思います。
ただ、3手先が読めていないのなら、良くなるまで我慢することも必要ですね。