定期的に(しょっちゅう?)来る不調期に入ってしまった感じです。月曜日に少しもやもやした気持ちのまま2局指したところ、読みも入ってなければ気持ちもまるで入ってない将棋が続き、自分に呆れてしまったのでそこで終了。翌日は気分のいい状態で指し始めましたが、今度は純粋に力不足で連敗。五段に留まれないのも止む無し、な状態です。

・・・で、そんな時だからこそこのシリーズを書いて、自分の中で色々と整理しようと思います。今回は技術的な面よりも、将棋を指す時の「気の持ちよう」のほうをメインに。



●「内発的」に動機づけられているかどうか

動機づけ、という言葉はコーチングだったり自己啓発だったり、様々な分野で使われていると思うので聞いたことがある方も多いでしょうか。人や動物がある行動を「とらねば」とか「とりたい」というふうに考える、すなわち行動が促進される機能やその過程を指します。そして、何によってその行動が促進されているかによって、「外発的」な動機づけと「内発的」な動機づけとに分けられます。

外発的動機づけは、その人の外側に存在する圧力あるいは報酬などによって行動が動機づけられている状態です。例えば「子供が親に強制されて将棋を習わされる」とか、「相手との勝負に勝つのが楽しいから将棋を指す」というのは外発的に動機づけられた状態と言えます。

一方、内発的動機づけは、行動が動機づけられる要因がその人自身の内部から生じてきます。つまり誰かに強制されたわけでもなく、また勝ち負けの結果にも関係なく、 とにかく将棋を指すことそのものが楽しい、という状態です。

スランプに陥っても腐らずに取り組み続け、将棋が一生の趣味になるというケースは、もちろん内発的に動機づけられた人のほうが圧倒的に多いと思われます。内発的動機づけは、ある意味理想的な状態です。

自分の場合、調子が悪くなる時はいつのまにか「勝ってR点を増やしたい」とか「リレーのノルマ100局の消化のために指そう」という気持ちが強くなってるな・・・と、後から振り返ってみて気付くことがほとんどです。もちろん、そのような目標を立てることが力になるという方も少なくはないでしょうから、一義的に「内発的動機づけは善、外発的動機づけは悪」と決めつけることはできないと思います。個人差はあるでしょうが、自分にとっては内発的に動機づけられた状態のほうがフィットするかな、と思うのです。

・・・初っ端から小難しい長文になってごめんなさい><

●「勝つ」以外の楽しみ

では、どのようにして内発的に動機づけられた状態に持っていくか。自分は「勝つ楽しさ」意外にもう一つ、将棋を指していて楽しいと思える何かを見つけるのがカギかなと思っています。言い換えれば「これができれば負けても満足」と思える何かを見つけることです。

序盤の駒組みを巡る駆け引きが楽しい、とか。中盤の技の掛け合いが面白い、とか。終盤の緊張感あふれる一手争いの寄せ合いが大好き、とか。ひたすら攻めまくる展開にできれば完切れしても満足、とか。攻め駒を全部綺麗に捌ききれたら後は負けてもいいや、とか。そういうものが何か一つでもあれば、「勝ち負け関係なく将棋が楽しい!」と思えるチャンスはぐっと広がりそうですよね。

●逆転できたらかっこいい 

局面が苦しい時の気の持ち方についてです。自分なんかは日常茶飯事になっているレベルですが、「こんなの逆転できるわけないだろ」と思うくらいに局面が苦しくなる、ということは誰にでもあると思います。そんな時、逆転の発想で「でも、もしここから逆転できたらかっこいいんじゃないか?」と考えることにしています。そう考えると、局面が苦しければ苦しいほど逆に「よっしゃ逆転したるで」と力が湧いてくる気がします。もちろん、そこまで苦しくなってしまうとそのまま負かされるケースのほうが圧倒的に多いわけですが、たまーに起こる奇跡的な逆転も積み重なれば10勝分、100勝分という差になっていきます。

確かこの考え方、昔見た某小学生名探偵のアニメが元ネタになっていたと思います。サッカーの試合で後半も残り1分か2分くらい、点数は2点負けている・・・という絶望的な状況で、身体が小さくなる前の某主人公がチームメイトに向けて「ここから逆転したらかっこよくね?」的な発言。

某おっちゃん「・・・で、結果はどうなったんだ?」
某空手お姉ちゃん「負けたわ」
某おっちゃん「そりゃそうだろうなwww」
某空手お姉ちゃん「でも、同点に追いついてPK戦まで持ち込んだのよ」 

・・・みたいな感じだった記憶があります。子供心に「かっけー」と思ったものです。

●負けた時の切り替え方

勝ち星が遠のいていて、しかも負け方も酷い・・・となると、どうしても自分が嫌になります。「何でこんな手を指しちゃうかなー」とか、時には「自分、将棋向いてないんじゃないか・・・」くらいまで考えてしまうことも。

しかし落ち着いて考えてみると、調子がかなり良い時でも「酷い負け方」というのをする時はしているのを思い出します。その酷い負けをどう捉えるかというのが大きな違いで、調子が良い時は「まあ、こんなことだってあるよね」と気楽に考えたり、「相手が上手かったからしょうがない」と自然に思っています。逆に調子が悪い時はどうしても自分を責める方向へ・・・。

成功体験や失敗体験があった時、その成功や失敗の原因を自分自身に求めるか外側(運の良し悪しとか他人のせいとか)に求めるか、ということに関する理論が確かあったと思いますが、 精神衛生的な面で考えるなら「成功体験(勝ち)は自分の力、失敗体験(負け)は運が悪かったから」というスタンスでいるのが理想的なんでしょうね。日常生活で「自分が失敗したのは他人のせいだ!」という態度を表に出してしまうのはまずいわけですが。。。



将棋も他の様々なスポーツと同じく、やはり精神面の状態がパフォーマンスに大きく影響するんだということを度々痛感します。常に良い状態で対局に臨めるようにしたいものです。