狼の中で最近ちょっとしたブームになりつつあるのが、変則将棋の一つ「ついたて将棋」(ルールはWikipedia等を参照)。便利なことにネットでついたて将棋の対戦ができるサイトもあります。学生の頃に将棋部でついたて将棋を遊んだことは何度かあったのですが、今改めてやってみると奥深さに驚かされます。
茉麻さんとの対局から(もちろん実際には相手の駒は見えていません)。ここで深く考えずに△5七歩成(王手の通知は両者にされる)としますが、▲同角に手が止まります(と金が消えるので取られたことはわかるが、何の駒で取られたかまではわからない)。最低でも金駒は取れる、と判断すれば△同角成と踏み込むのも有力だったかもしれませんが、実戦はひよって△5六歩▲4六角と進み、以下はいいところなく負け。
感想戦では第1図で、ついたて将棋ならではの手筋を指摘されました。それが△5七歩不成!
自然な△5七歩成は王手の通知があるため、5七にと金ができていることが先手からも簡単に推測できます。しかし敢えて不成にすることでその存在を気付かせず、次に飛車を取れる確率が大幅に上がる、という理屈です。
自分はそもそも△5七歩成が王手になるのが想定外だったわけですが、逆に茉麻さんは△5七歩成が王手になる(=と金がいることに気付ける)ように、わざと玉を4八から動かさずにいた、とのこと。どう見ても手合い違いです、本当にありがとうございました。
自分の駒の存在を相手に気付かせない、というのは終盤戦でも大切なようで、相手にとっては「いつの間にか駒を取られていた」、「いつの間にか詰まされていた」という展開になるのが理想的なのかもしれません。凄腕の暗殺者みたいな感じでなんかカッコイイ。
今度は普通の将棋で、今日24で指した一局です。コメントは長手数で面倒だったのでつけていませんが、中盤でリードを奪ったものの決めきれず、その後は1000点を超えない範囲で先手良しと後手良しを何往復もし、155手目▲8六竜でマイナス1000点を超えてからはそのまま押し切られた、という展開でした。
珍しく「負けたけど満足」という一局だったのですが、そう思えた要因は、自分の中で思い描いている理想の一つを実現できていたからだと思います。軽く、筋良く、遊び駒を作らない・・・等々、理想を細かく挙げればきりがないのですが、その中で比較的最近になってから理想として考え始めたのが「いつの間にか自玉が堅くなっている」、「いつの間にか遊び駒がなくなっている」というもの。この「いつの間にか」というのがポイントで、序盤から堅い、序盤から遊び駒がないのは特別すごいことではない。中終盤の戦いの中で、手の流れに乗って自玉を堅くし、遊び駒を捌いていく・・・そういうのが職人芸っぽくてかっこいいよなー、と勝手に思っています。
この将棋で言えば、戦いの中で高美濃を銀冠に組み替えて端の不安をなくし、6七で遊んでいた銀を手順に4六まで持ってきて厚みを築く、それを実現できた満足感が大きかったです。・・・まあ、それを言えば相手玉も「いつの間にか」穴熊になっていたわけで、いやあこれは一本取られましたなHAHAHA・・・というしょうもない落ちでした。
茉麻さんとの対局から(もちろん実際には相手の駒は見えていません)。ここで深く考えずに△5七歩成(王手の通知は両者にされる)としますが、▲同角に手が止まります(と金が消えるので取られたことはわかるが、何の駒で取られたかまではわからない)。最低でも金駒は取れる、と判断すれば△同角成と踏み込むのも有力だったかもしれませんが、実戦はひよって△5六歩▲4六角と進み、以下はいいところなく負け。
感想戦では第1図で、ついたて将棋ならではの手筋を指摘されました。それが△5七歩不成!
自然な△5七歩成は王手の通知があるため、5七にと金ができていることが先手からも簡単に推測できます。しかし敢えて不成にすることでその存在を気付かせず、次に飛車を取れる確率が大幅に上がる、という理屈です。
自分はそもそも△5七歩成が王手になるのが想定外だったわけですが、逆に茉麻さんは△5七歩成が王手になる(=と金がいることに気付ける)ように、わざと玉を4八から動かさずにいた、とのこと。どう見ても手合い違いです、本当にありがとうございました。
自分の駒の存在を相手に気付かせない、というのは終盤戦でも大切なようで、相手にとっては「いつの間にか駒を取られていた」、「いつの間にか詰まされていた」という展開になるのが理想的なのかもしれません。凄腕の暗殺者みたいな感じでなんかカッコイイ。
今度は普通の将棋で、今日24で指した一局です。コメントは
珍しく「負けたけど満足」という一局だったのですが、そう思えた要因は、自分の中で思い描いている理想の一つを実現できていたからだと思います。軽く、筋良く、遊び駒を作らない・・・等々、理想を細かく挙げればきりがないのですが、その中で比較的最近になってから理想として考え始めたのが「いつの間にか自玉が堅くなっている」、「いつの間にか遊び駒がなくなっている」というもの。この「いつの間にか」というのがポイントで、序盤から堅い、序盤から遊び駒がないのは特別すごいことではない。中終盤の戦いの中で、手の流れに乗って自玉を堅くし、遊び駒を捌いていく・・・そういうのが職人芸っぽくてかっこいいよなー、と勝手に思っています。
この将棋で言えば、戦いの中で高美濃を銀冠に組み替えて端の不安をなくし、6七で遊んでいた銀を手順に4六まで持ってきて厚みを築く、それを実現できた満足感が大きかったです。・・・まあ、それを言えば相手玉も「いつの間にか」穴熊になっていたわけで、いやあこれは一本取られましたなHAHAHA・・・というしょうもない落ちでした。
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