豊島新棋聖が誕生。羽生先生のタイトル通算100期も見たいし、豊島先生の初タイトルも見たいし・・・という複雑な心境でしたが、豊島先生が5度目の挑戦で悲願の初タイトルということで、おめでとうございます。この勢いで王位戦も、ということになるかどうか、楽しみですね。

昨年から菅井先生、中村太地先生、高見先生、そして豊島先生と、若手のタイトルホルダーが次々に出てきている状況を見ると、いよいよ世代交代が完全なものになるのではないかという雰囲気を感じます。どんな競技でも世代交代は常に起こり続けるものなのでしょうが、羽生世代のまさに全盛期とも言える時期に将棋を勉強していた身としては、一抹の寂しさも覚えてしまいます。竜王戦は羽生先生を応援したいところですが、挑戦者が久保先生になった場合はどうしようか・・・w


ところで前回の記事で軽く触れたワールドカップ、日本の試合だけは全て見ていました(オフサイドについてもググってだいたい理解)。印象に残ったのは、試合後も色んなところで賛否両論となったポーランド戦のラスト10分。
これはもう絶対的な正解というのは存在しないんだろうなと思います。できる限り合理的に最善手を求めようとするなら、日本が同点を目指した場合に成功する確率と失敗する確率、競争相手のセネガルが同点に追いつく確率・・・等々を含めた確率論になるのでしょうが、そういった確率だって絶対的な正しさを持った数字を示すことは極めて難しいはず。なので最終的には、「結果を優先するべきか、過程(内容)を優先するべきか」という話になるのだと思いますが、これはこれで絶対的な正解というものは存在しないでしょう。以下に個人的な見解は書きますが、これが絶対的に正しい考え方だと主張するつもりはありませんし、これと異なる意見があるのも自然なことだと考えている、と断った上で書かせていただきます。今の時代は炎上とかも怖いからね><


個人的な意見としては、あのラスト10分の戦い方は一つの選択肢としてアリかなと思いながら見ていました。西野監督が「これが最善策だ」と信じて決断したならば、その決断は尊重されるべきなのかな、と。

例えばこれが高校生の部活の大会、すなわち「教育の一環」として行われている試合であれば話は違ってきますが、少なくともプロという世界においては結果が一番に求められるのではないかと、自分は思っています(この場合の「結果」はポーランド戦という一試合の結果ではなく、グループリーグ通過という結果)。結果が出ているという前提があって初めてそこから内容も問われ始めるのであって、結果よりも先に内容が問われるというものではない、という考えです。

自分は将棋の対局やプロ野球の試合なんかを観るときに「勝敗はどっちでもいいから内容的に面白い対局・試合が見たい」と思うことはよくありますが、あくまでもそれは外野の意見。当事者であるプロの方々は結局、対局に勝つ、出塁してチームに得点をもたらす、といった結果を残さなければお金をもらえないわけで、「結果が出てさえいれば内容はどうでもいい」とまでは言いませんが、「結果が最優先、内容はその次」というのがプロの世界なのではないか・・・と考えたのでした。


その意味では、タイトル獲得という一つの大きな結果を残した豊島先生はすごいなと思います(小学生並みの感想)。今後はタイトルホルダーとして将棋の内容も今まで以上に問われていくのでしょうが、そんな重圧にも負けず淡々と勝っていく姿を見てみたいところです。